スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:-- 】
スポンサー広告
子供雑貨 H(アッシュ)
ojiko


石川県に本店を持つ、子供服のセレクトショップ。
主にノルウェー、ベルギー、フランス、スウェーデン辺りの
ブランドから子供服をチョイスしてるんだけど、めちゃくちゃ可愛いです。エンジェルブルーなどの蛍光色に飽きたら、ぜひこちらから選んでみてください。
いや、しかしなんで成人男性用サイズ扱ってないのかねえ…。

web通販もやってます
アッシュweb
http://www.ch-h.net/index.html
                     コミックよし子
スポンサーサイト
【2005/10/15 01:17 】
ファッション | コメント(0) | トラックバック(0)
少女愛惜
melodie.jpg

# M 『不思議になんとなく、ふっと吉田健一を書こうと思ったのです。ほんとつながってますね!』

# 林茉莉 『戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである(注1)。ということで、戦争が勃発するとき、政府からアナウンスされる唯一の原因も、各自の生活を美しくするためなのでは、などと思いつつ、手段というより、意思表示としては確かに有効なのかもしれない、とも思うわけです。ヴィアンによれば、かわいい少女たちとの恋愛とデューク・エリントンの音楽しか美しくないということなので、それを当てはめると、俄然わたしにとっても十分な説得力を持ち得ますね。ただし”恋愛”と”デューク・エリントン”は蛇足ですが。』

# S 『そういえばよく疑問に思うのですが、私の個人的な少女像がどうも人と違っているみたい。“少女”と聞けば、ふてくされ顔の自分とか、やけに素顔のおぼこい“不良少女”達を思い出してしまい、エッセンスとしての少女=かわいいイメージが素直に浮かんでこないのです。男性は“少年”にどんな印象を持ってるんだろう、というのも気になります。』

# M 『つらつら想うのは、世界を救うのはもしかしたら「だって可愛いんだもん!」なのかもしれないなあということです。救われるべき“世界”があるとしてのことですけど(笑)。ただ難しいなあと思うのは、「可愛いもの/美しいもの」は人によってそれぞれ、かわいい少女たちの人もいれば血みどろ死体の人もアメリカの夢な人もいる。それに過剰に執着して他を攻撃しはじめると争いが起き大きくは戦争を始める言い訳にも使われるんじゃないかなあって思いますし、かといって各自の生活の美しさを守ることだけに固執しすぎると、Fブラウン描くところの「ドーム」のようなことにもなるのじゃないかなあって思ったりもします。まあ何事も良し悪しですね♪「エッセンスとしての少女=かわいいイメージが素直に浮かんでこない」実は私もあんまりピンとくることが少なくって。「男性は“少年”にどんな印象を持ってるんだろう」気になりますね!男性の方、ご教示いただけたら嬉しいです。』

# 林茉莉 『1)入植後のオーストラリアで、あれだけ多くの固有種が絶滅させられたにもかかわらず、寝てばかりで動きもトロいコアラが、なぜか生き延びることができた。それはひとえに、その愛らしさゆえ、人間に愛されたかららしいです(注2)。フランスの科学番組によれば、ですが。
2)エッセンスとしての少女=かわいいイメージ、とは、つまり素直で慎ましく、物静かではにかみ屋、みたいな感じでしょうか。便宜上、そういうイメージが少女性の代名詞になっているのは仕方ないですが、それじゃ我々オタクは萌えませんね。Mさんには少し話しましたが、クラリスやシータじゃ弱いんですよ。 
3)もともとクリスチャンの自分にとって、救済という語はあまりピンとこないんです。 
4)可愛いもの/美しいもの、わたしにとって、このふたつには決定的な違いがあります。ものすごくくだけた表現をしますと(ゆえに誤解を生むかも)、美しさとは、すべての無駄を省いた状態、可愛さとは、無駄なものだけで組み上げられた状態、といいますか。美しさが超越してゆくイメージなのに対し、可愛さは退行してゆくイメージなんです。 
5)多様性が争いの火種になり得る、とは思うのですが、それが原因で集団ヒステリー状態、ひいては殺しあいに発展することは少ないのではないかと思います。 
6)少年に対する印象、これは難しいですね。わたしはショタっ子大好きという性癖をもっていますので、サンプルとしては適当ではないでしょうし。かんたんにいいますと、少女と同じく、やっぱり幻想を通してみてしまいますね。それを人は脳内フィルターと呼んだり、イデアと呼んだりしますけど。長野まゆみの描く少年像なんかは、けっこうわたしのもっている少年像と近いと思います。 
7)長々と申し訳ないです。』

# bghs 『得意の’めたふぁー’で蛇足を補足。
1) 三歳のころ、よくいっしょに遊んだ男の子と十六歳になって再会した刹那、片瀬健二という本名はうろおぼえでしたが、「ケンちゃん?」と、考え立つよりも先に口がついた。
2) 「かわいい少女たち:エッセンスとしての少女=かわいいイメージ」=「大きな林真里子さん:大好きな林真里子さん=かわいいイメージ」=「主観でみた現象:主観でみた客観」
3) パス
4) 美しさ;「たった一枚のアルバムを残して解散したセックス・ピストルズ」「菊次郎の夏」「2001年宇宙の旅」等
可愛さ;「老いてなお盛ん! セックス・ピストルズ、遂に通算30作目」「冬も菊次郎」「2001年宇宙の旅:爆笑マル秘NG集」等
5) 調べに対し、「たのきんトリオのふたりは、どちらが泳ぎが得意かを言い争ううちに、ついかっとなってしまった。殺すつもりじゃなかった」と、こたえてみるテスト・・・
6) 「そういえばよく疑問に思うのですが、私の個人的な少年像がどうも人と違っているみたい。“少年”と聞けば、ふてくされ顔の自分とか、やけに素顔のおぼこい“不良少年”達を思い出してしまい、エッセンスとしての少年=かわいいイメージが素直に浮かんでこない」実は私もあんまりピンとくることが少なくって(ry
7) 長々と申し訳ないです。』

# M『みなさま、コメントたくさんありがとうございますm(_ _)mこれ以上長くなるのも…と迷いましたが、ちょこっとだけ…。
>林茉莉 さん
たくさん解説ありがとうございます♪長々と…なんてとんでもないですよ~!「可愛いもの/美しいもの」の違い、なるほどなあって思いました。長野まゆみさんはあまり読んだことがないのです~。ちょっと苦手な匂ひがしてしまって(笑)でもこれも喰わず嫌いですよね。機会があれば覗いてみたいです。「クラリスは“萌え”というには弱い」これ、初めて聞いたときはビックリしました。でもお話を聞くと、なんとなく納得しました。「魔女の宅急便」なるべく早く見てみたいです!
>bghsさん
ここでははじめまして♪めたふぁ補足、ありがとうございます。考え立つよりも先に口がつくって、いいなあ。2)は、あうっとドキっとしました。還暦越えてもガーゼシャツのピストルズは可愛い、かも。30枚目も1枚目とおんなじだったらもっといいな。「冬も菊次郎」の可愛さはよくわかんなかった…。たのきんトリオの残り一人は、二人の殺し合いを眺めていたのかなー。めたふぁ補足してくれてるのにあんましわかってないです、すみません…。でもありがとうございます!…やっぱり長くなってしまいました…ずびばぜん…』

# S『コメントありがとうございます。長いも短いも大歓迎♪でございます。
>林茉莉さん
「可愛いもの→無駄なものだけで組み上げられた状態」に納得です。無駄は大好きな私ですが、少女期特有の無駄なもの(強い自意識とか、ぼんやりした輪郭とか)が過去の自分を見るようで恥ずかしいのですね。羚羊みたいな脚と固い線でできた少年の様な肢体を持った少女でありたかった…と当時よく思いましたわ。
>bghsさん
再結成セックス・ピストルズは確かに美しいというよりは妙に可愛らしかったです。いろいろ考えに考えた結論→「私、可愛いかも?」…駄目ですか。』


「交歓SM日記」の過去ログより、「2005-03-22 M「饗宴 他」吉田健一 / 「白州正子自伝」白州正子」のコメント欄を無断転載。「少女愛惜」というタイトルも、フレンチ/女性ボーカル 友の会【BRIGITTE】からパクったもの。なので、怒られたら消します。ログよりさきに、わたしが消されるかもしれませんが。ガクガクブルブル。
                         林茉莉

(注1) 「ランダム・アクセス」吉田健一の言葉
(注2) 『利己的な遺伝子』の著者、リチャード・ドーキンスによる説。桜井幸子&持田真樹版『高校教師』の作中で引用され、一躍脚光を浴びた。
【2005/10/07 10:04 】
書籍 | コメント(2) | トラックバック(0)
フランス窓便り
cybele.jpg

先今月号の『Cookie』で、水沢めぐみが読み切りを描いていて、他にも小花美穂だの矢沢あいだのというメンツをみるにつけ、これって旧りぼん読者の受け皿なんだなぁと思ったりした。かつてわたしがメインで読んでいた頃のりぼん作家は、ごそっとマーガレットに移動したわけだけど。
「乙女ちっく」を描いていた作家にもいろいろいるけど、その現在はだいたいふた通りに分かれる。大島弓子や陸奥A子のように、描き手の実年齢にふさわしい作品を描き続ける人と、白倉由美や川原由美子のように、山のあなたへいっちゃった人。少女の過敏な自意識から来る<美しいうちにこの世から消えたい>って願望を映し出した作品ってのは、言い換えればヤンキー~ヤクザ漫画の<太く短く生きるんじゃい>と、本質は同じだと思う。どちらも、美意識の体現が行動様式となるのもよく似ている。ただ、前者が<他人との接触>を極度に怖れるのとは対照的に、後者では<他人との関わり>を抜きにしたら、物語は動かない。ゆえに、前者は自己の知覚の及ぶ範囲が、世界そのものとなる。後者は、あくまでコミュニティの域を出ない。
たとえば「シベールの日曜日」では、変質者と勘違いされたピエールが警官に射殺されるわけだが、これはピエールの哀れさに観客を同情させるためではなく、唯一の理解者を喪ったシベールの薄幸ぶりに酔うための演出なんである。筒井康隆の七瀬シリーズでは、とうとう七瀬本人までアレされてしまうわけだが、おそらく筒井氏自身の七瀬への思い入れが、ああいう結末を書かせたのだと思う。無垢で純真な魂を表現するためには、つねに主観的にではなく、客観的に薄幸でなければならない。それがドラマツルギーというものだ。・・・御存知の通り、わたし自身は、アニーよりもイライザに萌える性質ですが。

「pastel madness」の過去ログより、「2005-06-09 ガラスの夜想曲」を転載。

                         林茉莉
【2005/10/05 11:03 】
漫画 | コメント(0) | トラックバック(0)
林茉莉;ブログ界の河合その子
princess.jpg

クラブでかけられるネタ曲は、定番や大ネタを除くと、たいていがごく最近の曲であるか、もしくは話題になってから10年ほど経過して、誰もが忘れかけている「あ、それいいよね」とか「じつはそれっていいよね」的な曲である。楽曲の知名度も視野に入れつつ、どの程度「忘れられていた」かを計算し、いいタイミングでフロアへ投げ込めるDJは、<センスがいい>とか<嗅覚が鋭い>と言ってもらえたりする。
だが、少女(幻想)に関するコンテンツを書いている身として、ごく最近のものを取り上げるのは、「センスがいい」とか「嗅覚が鋭い」ことにはならないようだ。なぜなら、それらは即座に「大きなお友だち」というありがたくない隠語を連想させるからで、しかも性癖的に後ろ指を差される危険性をも孕んでいる。すなわち、いい歳をしたおとなの男が、少女性を<語る>のに、『ふたりはプリキュア』だの『オシャレ魔女 ラブandベリー』だの『ベリーズ工房』だのを取り上げるのは、いささかリスキーな行為なのである。
こういう記事を書いていて思うのは、けっきょくわたしたちは、「少女のありよう」を気にするよりも、自分たちが幼かった頃に定義されていた「乙女チック」への想いを愛でているのだなぁ、ということ。それは、かつて『ときめきメモリアル』の大ヒットした要因が、じつは「疑似恋愛」でなく、「学園生活の追体験」にあった事実とよく似ている。
さらにわたしたちは、男としてこの世に生を受けたわけで、ゆえに「どうして女の子はズボンをはいてもいいのに、男の子はスカートをはけないのだろう」と思ってしまった種族だったりするのだ。けれどそれは、性同一性障害と呼べるようなものではなく、もともとは、ただ隣の芝生が青く見えてしまっただけなのだと思う。
というのも、その頃の男の子には、とにかく「昇りつめねばならぬ」射精型自己実現社会への参加が課せられていたり(少年漫画では力のインフレが横溢していた)、ロックを聴くにしても、バンドメンバーへの黄色い声などは御法度で、そのルーツだの奏法だのメッセージ性だのを、訳知り顔で語らねばならないような空気に支配されていた。そして、それができない男は「女々しい」落伍者だったわけだ。いや、わたしたちは、それへの参加をハナから拒否していたわけだが。おそらくそういった感性は、「身近な男性」、すなわち男親への嫌悪感から培われていったのだと思う。
すなわち、わたしたちは<男であること>を拒否したのではなく、<男たること>を拒否したのだ。だから、わたしは「生きる上で役に立たない知識」を山ほど抱えた男性型オタクでもあるけれど、それより「買い物が大好きな完全消費型」の、蘊蓄よりもまずはカップリングな腐女子型オタクであることを愉しみたい。
                         林茉莉
【2005/10/03 05:55 】
評論/考察 | コメント(0) | トラックバック(0)
| ホーム |