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デルフィーヌ(モード・フォルジェ)
好きな映画が実在の人物や事件であることって多いですね。この『デルフィーヌの場合』も実際に起きた事件を脚色したものらしいです。このデルフィーヌを演じるモード・フォルジェはとても透き通る白い肌の小柄な可愛い少女でとても好き。その後、イザベル・ユペールの娘役で出ていた『いつか、きっと』では少しふっくらしていたけど今後も期待している女優さん。そして、転校生としてやって来るオリビア役はルー・ドワイヨン(バーキンそっくりなパーツ大きくハッキリクッキリ濃い大人顔の少女)。このふたりの少女は15歳。派手で悪い遊びに慣れているオリビア。初心なデルフィーヌはそんな彼女に惹かれる、ふたりの友情は好き。そして、初恋の男の子ロランとの体験。ロランが今の現実から逃げ出したいという、一緒に逃げるにはお金が必要。その資金作りのために、デルフィーヌとオリビアは売春行為を毎日行う。その場面は露骨ではないけれど、わたしは居た堪れないものだった。実際に幼い体を差し出したかのようにソフトには書かれているけれど、そんな描写はない。しかし、1991年のフランスで実際に起きた事件がどこまでの内容だったのかは知らない。どちらにしろ、デルフィーヌはロランへの一途な気持ちからの行為。彼女にとって、その時、正悪の判断の余地も無くただ一途。そういう時期があると思う。ムカつくのはたいして美男でもない優柔普段そうなロラン。こういう男の子、普通にいそうな気がする。また反対にこういうロラン的な女の子もいる。デルフィーヌのような一途な男の子もいる。絵空事ではない。繊細なストーリー展開とは思えないけれど、デルフィーヌはその後どうしているだろうか...と考える。ロランはまさかこんなことに!という軽い気持ちだったろう。少女期の親や社会が目に入らない時期の美しさと怖さ。この映画が好きかと尋ねられると、「ノン」!でも、観て良かったと思うし観ずにはおられない。

デルフィーヌの場合 原題 : Mauvaises Frequentations 製作年 : 1998年 製作国 : フランス

                                        青猫

Mauvaises
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テーマ:映画 - ジャンル:サブカル

【2008/11/24 15:35 】
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ポウリーン(メラニー・リンスキー)とジュリエット(ケイト・ウィンスレット)

クライストチャーチに暮らす内気なポウリーンと、イギリスからの転校生ジュリエットは親友同士になり、二人だけの世界を作り上げるが、その絆があまりに強いため周囲の大人は彼女たちを同性愛と見て引き離そうとする。そんな二人が、一緒にいるために立てた残酷な計画とは…。



『翼をください』が実話をもとにした物語だというのは先に述べましたが、実際の事件よりもかなり脚色されているんですね。『乙女の祈り』も、やはり実話をもとにした物語なのですが、こちらはほぼ事件のあらまし通りに映像化されておりまして、イギリス在住のミステリー作家、アン・ペリーがジュリエットのモデルであることまで明らかになったといいます。『翼をください』のトリーが、その純粋さや一途さゆえ生じた摩擦係数の高さに燃え尽きてしまった少女だとすると、『乙女の祈り』のポウリーンとジュリエットは、自分たちの信奉する清さ・正しさ・美しさに殉じた少女たちだと言えます。ジュリエットは大学総長の父を持つお嬢さまだったけれど、両親の不仲や、娘である自分へのおざなりな愛情に満たされないものを感じていたし、内気なポウリーンには仲の良い友だちもいないうえ、嗜好に対する家族の無理解に苛立っていた。そうして出逢い、その親密さを深めていったふたりはしだいに、共に紡いだ繭の中へ閉じこもるようになっていったんですね。聖なるものに満たされた夢のなかでまどろむときだけ、彼女たちは本来の自分を取り戻すことができた。彼女らは他を蔑むひまもないほどその夢に耽溺しきっていたわけですが、現実はそれをずっと容認し続けてくれるわけではない。大人たちは、性的な関係を持つまでになったふたりを異常と判断し、とにかくその仲を引き裂くべきだと判断したのです。自分たちの世界を侵犯する悪しき現実の象徴として憎しみの矛先を向けられたのは、ポウリーンの母親でした。ポウリーンは口煩い母を多少疎ましく思ってはいても、心の底から殺意を抱くほど憎んでいたわけではないと思います。ただ自分たちの世界を守り、そして自分たちの愛を貫くためには、彼女を殺すしかないと思いつめてしまったんですな。正味の話、3人が殺害の舞台となったピクニックへ出掛けるシーケンスは、かなり直視するに耐えないものがあります。うーん、得意分野だけにガッツリ語るつもりだとは宣言したものの、なかなかうまく文章にすることができません。また改めて挑戦してみよう。

乙女の祈り 原題 : heavenly creatures 製作年 : 1994年 製作国 : ニュージーランド・アメリカ

juliet-and-pauline.jpg

テーマ:映画 - ジャンル:サブカル

【2008/11/17 12:33 】
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血とバラ
「pastel madness」のコメントを書きながら思いついたよしなしごとがありますので、本筋からはちょっとずれてしまうのですけど、少女のイデアを探求する、ランスロットやガウェイン気取りのドン・キホーテ、あるいはほら吹き男爵として書きとめておきたいと思います。ではまず、「pastel madness」に書いたコメントから。


奴股:少女の誕生って、やっぱり浪漫主義と関係あるのかな。

林茉莉:話を日本に限定するけれど、少女という概念そのものに関して言えば、浪漫主義は関係ないと思う。それまで、その年頃の女性は結婚適齢期となった嫁入り前の娘=乙女、すなわち処女でしかなかったわけだけれど、女学校ができて以降、結婚を猶予される娘たち、すなわち少女がうまれてきた。それ自体は社会というか、国家の都合。各々の母親から伝えられてきた妻や母としての心得の質を、国家の要請する良妻賢母としての水準に引き上げることが目的。そうして集められた彼女らの共同体、共同幻想によって育まれたのが少女文化で、そこには浪漫主義も大いに関わっていると言っていいだろう。日本の浪漫主義の代名詞ともいえる『明星』の創刊が明治33年、読者層を少女に絞った初めての少女誌『少女界』の創刊が明治35 年。『明星』のうみだした星菫派の世界が、そのまま少女文化につながっている。知っての通り、星菫派は国家の大事に星よ花よと愚にもつかぬことを弄する腑抜けとして揶揄されたし、少女文化は軽薄そのものとして、決して「文化」として認められることはなかった。あと、『明星』の与謝野晶子といい『少女界』の吉屋信子といい、両者が異口同音に女性の自立を謳ったことにも注目したい。



大正に花開いた乙女浪漫以降、少女の意識にもっとも大きな影響を与えたのは70年代の少女漫画でしょう。そこで大いに参考とされたのが、ラファエル前派や象徴主義だったように思うのですけど、どちらも美術史的にはイロモノ、キワモノ扱いされる傾向にある。とくにラファエル前派は、女性美を霊感の源泉とするという共通意識があり、女性をモティーフにした作品が多いにも関わらず、その背後にある男性画家や作家同士の友愛のほうが匂い立ってくるような気がするんです。たとえばレオノール・フィニは、ラファエル前派を「女性賛美を謳いつつその表層だけを搾取している(ほどきつい言い方をしていたかどうかよく憶えていないんですが)」と批判していたような記憶があります。あれですな、ヌーヴェル・ヴァーグ期に、演技うんぬんよりも思想その他にかぶれていた役者が、制作側から完全に素材として扱われ、憤慨して逆説的に演技にめざめる、というような。少女に置き換えると、わたしはママのお人形じゃないわ! みたいな。話が飛びましたが、自画像やお互いを描いた作品が、件の少女漫画で描かれる美青年像とあまりにもリンクするんですね。妄想から発展して、空想だの幻想だの耽美だのといった世界へどっぷりと浸かるには、やはり自分の似姿である少女を介するよりも、到底シンクロしえない異性であり、中世であり、欧州の霧深い古城でありを扱ったほうがいいのかもしれない。たとえばハーレクイン・ロマンスの突拍子もない設定なども、そうしたありえなさが、逆にその世界へ浸りきるための道具立てとなるからだという話を聞いたこともあるし。いわゆる70年代の少女漫画が徐々にSFやファンタジーものへ移行していったのも、そういうことじゃないかと思います。そういえば、ゴシック少女にとってもっとも魅力的な設定は吸血鬼もの(イギリスには、わざわざ吸血鬼顔に整形する女の子もいるほど)だとされていますよね。アン・ライスのレスタトものをみれば一目瞭然だけれど、吸血鬼譚の伝道師である須永朝彦さんが、そもそも美少年・美青年好きが嵩じて吸血鬼ものにはまった旨を告白されているわけでして、『ポーの一族』はうまれるべくしてうまれきた作品なのであるなぁという思いを新たにするわけです。なんだかブログの趣旨から脱線した上、さらに論旨も一貫しない取りとめのない文章になってしまいましたが・・・。

                                        林茉莉

vampirelovers2.jpg

テーマ:腐女子的思考 - ジャンル:サブカル

【2008/11/09 14:01 】
評論/考察 | コメント(0) | トラックバック(0)
ポーリー(パイパー・ペラーボ)
次の『乙女の祈り』も凄く楽しみですが、このレア・プール監督の『翼をください』をもう少し続けさせてください。ミーシャ・バートンが出演しているので観たのですが、その後5回以上は観ています。何度も観る映画はかなり好きなのだろうと思います。17歳の3人の少女たち。メアリー役のミーシャ・バートンは14か15歳位で、トリー役のジェシカ・パレは20歳位。ポーリー役のパイパー・ペラーボは25歳頃です。その後、パイパー・ペラーボは『四角い恋愛関係』でもレズビアン役を演じていました。こちらはハッピーエンドのラブ・コメ風で軽く楽しめました。この『翼をください』の3人の少女たちのそれぞれの心理描写が素晴らしいですね。女性監督ならではだと思います。それぞれの17歳であるが故の行動に共鳴します。メアリーの語りで始まり終わりますが、わたしはこの映画の中ではポーリーが好きです。17歳という年齢、個人差がかなりありますね。あまりの情熱さで砕けてしまうポーリーの純真さ、そして愛を得られず死に至る選択。悲しい結末ですがハヤブサは飛び立ちますね。この感情はとても綺麗です。”少女特有の”という形容が色々ありますが、意地悪さや残酷さを描くものも多いですね。わたしは自らの感情に率直に突き進むが故の苦悩で砕けてしまうポーリーの少女性のようなものがとても好きで考えます。トリーは一足先に大人になっていますね。家族や世間の目というものを意識して男の子を選びます。後半で、メアリーにポーリーが悲痛な叫びを発します。”私はレズビアンじゃない。トリーが好きなの”と。そこでウっとなるメアリーの気持ちも分かるのですが。シェイクスピアの引用効果も好きです。わたしも校長先生役のジャッキー・バロウズ好きです。『赤毛のアン』や『アボンリーへの道』にも出演されている英国生まれのカナダ育ちのお方。先生がポーリーの気持ちを理解しようと努めている様子も伝わりますが、誰にもポーリーの加速する激情は止めることなどできない。個人差がとてもある思春期。一概には言えない複雑な心の襞からヒリヒリするもの、それこそ純粋さだと思います。このポーリーの汚れ無き感情は崇高で胸を打たれます。こういう安易な言葉ではわたしのポーリーへの気持ちは伝えられない程、このポーリーが好きです。好きになった人が女の子であった。それを傍目には”レズビアン”と。陰口を言う人も多い。この映画はレズビアンというセクシュアリティという問題提起で”愛すること”を問うた作品だと思います。トリーは美人だしそのまま大人になって社会に出て行くのでしょうね。メアリーはポーリーの死を経て校庭に植えた草木の成長と共に少しずつ大人になって行くのでしょうね。そして、ポーリーは不純物を知ることなく純粋な感情を持ったまま翼をハヤブサに授け飛び立ちました。わたしは長く生きています。ポーリーの気持ちがとても分かるのはもう少し幼い頃のことに起因しています。わたしが死に至らず今ものうのうと生きていられるのはポーリーの精神年齢ではなかったからです。同じ10代、思春期云々...ごっちゃには出来ません。また、少女というものが大切なのは何故か?という自らの問いに未だに答えは見つからず。”かわいい”とか”美少女”という言葉よりも最も心を鷲掴みされるのは大人になる手前のあまりにも微妙で複雑で不安定だけれど、真っ正直な純粋さです。思うまま書き綴りましたが一部です。

翼をください 原題 : lost and delirious 製作年 : 2001年 製作国 : カナダ

                                   青猫

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テーマ:映画 - ジャンル:サブカル

【2008/11/06 05:48 】
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