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謎の少女(ロール・マルサック)
定期的に閲覧している掲示板のとあるスレッドで、三浦しをんが「女は、他人のために命がけになったりしない」というような発言をダヴィンチ誌上でしていた、という内容の書き込みを読みまして。前後の繋がりが不明なので、それがどういう意図のもとになされたのかはわかりません。おそらくは、滅私奉公という精神論を支える切腹ナルシズムなる美学、そういうのって女性にはないよね、というようなニュアンスだったんじゃないかと思うんですが。そこへ前のめりに食いついていこうという姿勢が、いまや新聞や情報番組でも採り上げられるようになった武将萌え、すなわち命をかけて主君に仕える生きざまへの思い入れなんじゃないかと。とは言うものの、母性ですとか母性愛も、命がけとか無償の愛の代名詞みたいに使われることが多いわけですよ。そういう意味で、これこそが至上なんて言えないですね。もちろん、その愛に尊卑をつけるなんておこがましいことも、当然できないわけですけど。かくいうわたしが「他人のために命をかける女」というキーワードで思い出すのは、ミラ・ジョヴォヴィッチ版『ジャンヌ・ダルク』の序盤で、ジャンヌの住む村がイギリス兵に襲われるシーンです。ジャンヌの姉は妹を戸棚にかくまい、自分は抵抗もむなしく刺殺されます。そしてイギリス兵たちは、その骸を陵辱するのです。自分のために姉が犠牲になったことに苦しみ、やがてジャンヌは、復讐は何も生み出さないという神父の忠告をよそに、王太子のもとへ赴くと。しかしこの一連のシーケンスは、監督であるリュック・ベッソン、そしてベッソンとともに脚本を執筆したアンドリュー・バーキンの創作によるもの。その独自の解釈が賛否両論を巻き起こしましたが、彼らはおそらく、「人間・ジャンヌ・ダルク」を描こうとしたのでしょう。しかしながら、歴史に取材し、祖国の英雄を描いた作品としては、その手法がいささか安っぽかったのは否めない事実。というか、いかにも「男の子が考えた」お話くさいとでも言えるかな。なんかね、『X-ファイル』というドラマで、モルダーが揶揄を込めつつ「君は科学者なのに神を信じるのかい?」と相棒のスカリーに問いかけ、彼女が「それとこれとは別なのよ」と答えるシーンがあったんですけど、それを思い出してしまいました。『タクシー』という作品で、『カイエ・デュ・シネマ』誌をちぎって尻を拭くシーンを挿入したベッソンならでは、といったところでしょうか。わたしはもちろん、身を挺してかばってくれた姉のため、復讐心に燃える乙女って設定にウハウハですよ。あほですね(笑い)。

で、今日の本題。前述のアンドリュー・バーキンはシナリオ畑の人なのですが、初めて役者として出演したのが『ラ・ピラート』という作品。しかも、実の妹であるジェーン・バーキンの夫役。監督と脚本を務めたのは、当時ジェーンと交際していたジャック・ドワイヨン。これがまた、なんとも80年代のフランスらしい映画と言いますか、ぼけーっと観てると何がどうなってるんだかよくわからない。おそらく象徴や隠喩がそこここに散りばめられている、ように見える。当時のフランス映画家でわたしがいちばん好きなのは、ジェーンと親交の深かったアニエス・ヴァルダ。その理由はいたって簡単明瞭で、あるものをあるがままに撮っているから。それが胸を打つ1本のシナリオとなりうるところが、才能の才能たるゆえんってやつでね。夫のドゥミを陽だとすると、ヴァルダは陰を全部引き受けていたような気がする。でも、鬱の押し売りにはならないんですよ。だからすごいんだけど。では『ラ・ピラート』の筋をかいつまんで要約すると、ジェーン扮するアルマを、かつての恋人キャロルが奪いにくる。アルマのほうも焼けぼっくりに火がついて、キャロルとヨリを戻すことを願うのだが、夫に対する罪悪感もある。キャロルはなぜか少女を伴っていて、どうやらその少女もアルマのことを愛している様子。妻を奪われた夫は怒り狂い、素性のあやしい男「ナンバー5」を雇って後を追わせる。後半、どうやらその「ナンバー5」もアルマのことを愛してしまったっぽい。くんずほぐれつの愛憎劇が繰り広げられたあげく、アルマは「わたしを殺して」と哀願。なぜか拳銃を持ち歩いていた少女がその望みをかなえようと、引き金を引く。しがらみから解放されるアルマ。ラストシーンは車のバックシートでアルマをかき抱く少女の姿。

ゴダールの『カルメンという名の女』を観て感銘を受けたドワイヨンは、カルメン役を務めたマルーシュカ・デートメルスにキャロル役を依頼。しかし『カルメン~』そして『ラ・ピラート』のいずれも、イザベル・アジャーニから蹴られたうえでの、というオチがつくんですけど。レズビアン、ゲイ、そして実の兄妹が夫婦役という、時代を考えればじつに挑戦的な内容であったわけだけれど、わたしがここで言及したいのは、もちろん謎の少女を演じたロール・マルサック、当時13才。なんとも大人びていて、妖艶ですらあるたたずまいが素晴らしい。タイプはまったく違うけれども、『ロスト・チルドレン』のジュディット・ヴィッテにひけを取りません。そんな娘が、慈母のごとくアルマをいたわる数々のシーンに、どうして悶絶せずにいられるでしょうか。そしてところどころ、年頃の女の子らしい仕草を見せる部分もあったりしてね。目尻は下がりっぱなし、口元はにやけっぱなしですよ。この謎の少女役も、もともとはシャルロット・ゲンズブールに依頼していたらしいのだけれど、他作品と撮影がかぶってしまったためにNG。急遽プロデューサーが捜し回り、知り合いが勤める演劇学校に通っていた彼女を抜擢したそうです。でも、シャルロットだと全然イメージが変わってたな。自分はロールが演じてくれて良かったと思います。カンヌでは酷評されたらしいこの作品も、興行的には成功したとか。しかし目ぼしい画像が見つからなかったんで、キャプってくるまで暫定のもので。

ラ・ピラート 原題 : La Pirate 製作年 : 1984年  製作国 : フランス
                                林茉莉

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【2009/01/21 14:45 】
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サチ子(宮崎あおい)
またもや一ヶ月越しの更新となってしまいまして。そういえば、年も越してしまったんですね。書きたいことは山のようにあるのだけれど、時間のやり繰りはままならぬもの。そうした事実を突きつけられるにつれ、自分は大人になってしまったのだなぁと痛感させられるわけです。で、今日のお題。もうこのまま少女=百合、すなわち同性愛的親密さこそが少女の本懐であるとすら言い切ってしまわんばかりに、百合映画ばかりを頭の中に連ねていたのですが、青猫さんの「文学少女のたたずまいから滲み出るエロティシズム」なる説を読みまして、ちょいと路線変更。大林宣彦以降の国産少女映画の最高峰のひとつである、『害虫』を採り上げてみたいと思います。この『害虫』という映画、わたくしめがかつてものしておりましたフリーペーパーでも幾度かネタにしたことがあるのですけれど、とにかく90年代の少女たちが内に秘めていた鬱屈した想いを、これほどまで鮮明に描き出した作品は、他にちょっと見当たらないだろうと。岡崎京子が『リバーズエッジ』のなかで引用したウィリアム・ギブソンの一節「平坦な戦場」を、地でいくような肌触り。監督はトリュフォーばりの脚フェチという異名を取る(わたしが言ってるだけですが)塩田明彦。彼が講師を務める映画美学校の生徒だった清野弥生の書いてきたシナリオに魅せられ、彼女を脚本に起用して、商業的にはリスキーだけれども、国際映画祭に出品できるクオリティの作品を目標として制作されたそう。

精神的に不安定な母と二人暮しのサチ子は、小学校時代に担任の教師と交際していたが、その事実が学校に発覚。教師は免職となり、いまは北国の原子力発電所で働いている。不登校気味のサチ子の楽しみは、彼との文通だけ。隣に住む幼馴染みの夏子が毎日学校へ誘いにくるのも、少々うざったく感じている。ある日サチ子は、当たり屋で日銭を稼ぐ少年、そして彼の相棒である精神薄弱の中年男と知り合いになり、彼らのねぐらへ入り浸るようになる。息苦しい毎日から解放され、束の間の安らぎを手に入れたように感じるサチ子だったが、ある日危ない橋を渡った少年はへまをやらかし、姿を消す。再び学校へ通うようになるサチ子。しかしその日々は、再びサチ子の首を真綿で締め上げていく。挙句の果て、母が最近つきあい始めた男に強姦されかける。うさ晴らしのつもりか精神薄弱の中年男と連れ立ち、丘の上から夏子の家へ火炎瓶を投げるサチ子。それが予想を反して大火事になってしまい、おそれをなしたサチ子は原発で働く彼のもとへ身を寄せようと、ヒッチハイクで北を目指す。ふたりは喫茶店で待ち合わせるが、雪で立ち往生する彼はなかなか現れない。待ちくたびれるサチ子に、怪しげな男が「いい仕事紹介するよ」と声をかけてくる。やがてサチ子は男の車に乗り込み、入れ違いに到着した彼を横目に、懐かしい歌をくちづさむ。

内容はだいたいこんな感じ。主人公・サチ子を演じるのは、カンヌ映画祭で国際批評家連盟賞を受賞した『エウレカ』にて主演級を務めて注目を浴びていた宮崎あおい。当時15才。子役上がりでなにげにキャリアは長く、特に映画仕事へこだわってきた経歴の持ち主だけに、昨年主演を務めた大河ドラマの大ヒットで、一躍国民的女優になったのもうなづけるところ。しかし、いくつになっても容貌がほとんど変わらないなぁ。まるで昔の安達祐実のようです。ちなみに幼馴染み・夏子を演じたのは蒼井優。時期的に、『リリイ・シュシュのすべて』と『花とアリス』のちょうどあいだぐらいの出演。いちばん可愛かった頃ですな。あと、忘れてはならないのが、劇伴を手掛けたナンバーガール。エモ・ラウド界で飛ぶ鳥を落とす勢いだった彼らに既存の楽曲を提供してもらうのではなく、きちんと内容を伝え、撮影現場を見学してもらったうえで、オリジナルサウンドトラックを制作させた監督の慧眼には、ただただ賛辞を送るより他にありません。

害虫 製作年 : 2002年 製作国 : 日本

                        林茉莉

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【2009/01/15 13:42 】
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シビル(アン・ザカリアス)
新年明けましておめでとうございます。年明け早々にこのような内容は顰蹙かとも思いますがずっと言いたくて、でも、言い出せなくていました。原作『少女ネア』の作者はエマニュエル・アルサン。あの『エマニュエル夫人』。という訳で、この『少女ネア』の映画化も英語圏でのタイトルは「ヤング・エマニュエル」とかそういう感じ...売り方に先ず大きな間違いがあるし、この映画も格別好きではない。女流監督ネリー・カプランによる作品で、お気に入りの俳優が揃っているので観たものだった。ネアはシビルに変わっている。16歳の高校生でまだ性体験はない。何から書こうかと思うけれど、然程好きでもない映画ながら観てしまうのだし、印象に残っているのだから嫌いな作品でもないのだろう。その印象に残っている好きなところを書いてみる。このシビル役のアン・ザカリアスは当時19歳か20歳頃のスウェーデン人の女優。16歳という設定のシビルながら妙なアンバランスな魅力であった。あまり私の好みの顔たちではないけれど、裸体はとても綺麗である(これも私見ながら)。スラリとした脚が特に好きだ。顔はややヤツレタ感じで老けていると思った。また、この少女は大の読書家でもあり、文才もある。ある本屋で万引きをするところから始まる物語。その盗んだ本が欲しい訳でもなかったという辺りは重要だと思う。何がって、この時期の少女の心の揺れの特徴だと感じるから。しかし、盗みはいけない。ハンサムな書店の店主(サミー・フレイ)にこの少女は大胆にも性体験を要請する...そうした展開の中で少女シビルの書いたポルノ小説をその店主は盗作し、仕返しされ、なんだかんだという経緯後、ふたりの仲はハッピーな感じ...この間の展開や描き方があまり好きではない。多分、それは私の生理的な感覚から思うことだろうが。

少女エロスな映画とも言えるのだろうけれど、何故、いつも映画大国フランスはこのような少女の描き方を好むのだろうか?男性監督ならまだしも、女性監督ですら。ただ、ふとした場面の繊細さを感じることもできるが、私が思う(好きな)少女世界からは遠い。けれど、アン・ザカリアスの美しい脚を観れること、脇を固める俳優は超一流であるのは素晴らしい!一概には言えないけれど、文学少女はかなり独自のエロティシズムを持ち、妄想する想像力がある人が多いようにも思う。活字を読む作業、本の頁を捲る作業はある意味、私にとって快感である。それは脳内の少女世界へ、あるいは二次元へと繋がるからであろう。

シビルの部屋 原題 : Nea 製作年 : 1976年 製作国 : フランス

                                        青猫

nea

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【2009/01/09 04:18 】
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