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マリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)
かなり更新さぼってすみません。茉莉ちゃんのサイトのリンクで知った「クララの森・少女愛惜」という方がこの映画のことを書いていました。私もこの映画にとても心動かされたのですが、ちょっと気になることがあります。胸にひっかかっているという感じ。このマリー役のアンヌ・ヴィアゼムスキーの10代の頃の作品で、その初々しさは美しいです。この後、ゴダールやパゾリーニ、ガレルといった巨匠監督作品でもその存在感を刻んでいます。しかし、このマリーです。なんであんなに無表情なのか!なんであんなに流されてしまうのか!こういう人間は老若男女を問わず存在するけれど、あの幼き日に永遠の愛を誓った少年ジャックへの気持ちも薄っぺらい。あまり感情を表さない少女のようで、一番の友人はバルタザール(ロバ)だった。その友情は神話のようでした。ロバが人手に渡りバルタザールに会うために出向いた日のこと。予てからマリーに興味のあった少年ジェラールはそのマリーの気持ちを利用する。好きでもない男の子だったのに犯されてしまう。こういう運命だったのかもしれない。けれど、あまりにもマリーの心は彷徨うばかりでイライラする。ある意味、捨て身で生気がない。成長して再会したジャックは今もこれからもマリーを愛すると求婚する。マリーはジャックを愛したい...と呟くのだけれど、きっと、マリーはジェラールもジャックも愛してはいなかったのだと思います。恋に恋する年頃の少女の心は揺れ動く。その振動は自分ですら分かりはしない。そんな少女期がたまらなく好きではあるのですが。マリーを描くロベッソン監督は少女の不幸を弱き者(女子供)、囚われの存在として描くのがお好きなのでしょうか。何故、言葉を発しないのか!結局は流されバルタザールが傍に居ても気付かない場面は泣きそうでした。マリーの環境は特に不遇なものではない。孤児の少女が里親を転々とする少女たち、義父の言いなりにならなければ生きていけない環境ではない。もう少し、少女マリーの存在(無気力さ)を繊細に描いて欲しかったと思うけれど、ブレッソン監督の描き方なので仕方がありません。時代も国も違いますが、ラース・フォン・トリアーならもっとマリーを虐めていたかもしれないですな。

バルタザールどこへ行く 原題 : AU HASSARD BALTHAZA 製作年 : 1966年 製作国 : フランス/スウェーデン

                                        青猫
 
BALTHAZAR

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テーマ:映画 - ジャンル:サブカル

【2009/04/23 13:57 】
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